名前のない灯火 · The Nameless Lamp第1章 古本屋の奥The back of the bookstore霧生 蒼 · 灯文堂振EN雨あめの日ひだった。駅前えきまえの路地ろじを曲まがると、看板かんばんの字じが滲にじんでいた。『灯文堂とうぶんどう』。小ちいさな古本屋ふるほんやだ。「いらっしゃい。濡ぬれちゃうよ」奥おくから声こえがした。カウンターに肘ひじをついているのは、店主てんしゅの娘むすめだと名乗なのった高校生こうこうせい、白崎しらさき蛍ほたるだ。制服せいふくのまま、古本ふるほんの山やまに埋うもれている。俺おれは傘かさを閉とじて、土間どまで靴くつの先さきを揃そろえた。「また、変へんな本ほん、入はいってない?」蛍ほたるはにやりと笑わらった。この店みせには、ときどき『普通ふつうじゃない本ほん』が棚たなに混まざる。文字もじが夜よるになると増ふえる本ほん。読者どくしゃの名前なまえを表紙ひょうしに書かく本ほん。一度いちど開ひらくと、閉とじる場所ばしょを自分じぶんで決きめてくる本ほん。「今日きょうのは、特別とくべつだよ」彼女かのじょが差さし出だしたのは、表紙ひょうしもタイトルもない、薄うすい一冊いっさつだった。紙かみは新あたらしいのに、どこか古ふるい匂においがする。俺おれがページを開ひらくと、最初さいしょの行ぎょうに、まだ誰だれも書かいていない空白くうはくがあった。次つぎの瞬間しゅんかん、墨すみが自然しぜんに滲にじんで、俺おれの名前なまえが浮うかんだ。——柏木かしわぎ蓮れん。「……これ、俺おれの名前なまえだ」「うん。灯火ともしびが、お前を選えらんだんだと思おもう」蛍ほたるはそう言いって、窓まどの外そとの雨あめを見みた。路地ろじの水みずたまりに、店みせの明あかりが揺ゆれていた。「その本ほん、読よまないと消きえるらしいよ。三日みっかで」「消きえるって、本ほんが?」「名前なまえが。書かいてある側がわの」俺おれは空白くうはくの次つぎの行ぎょうを読よんだ。そこには、まだ見みぬ物語ものがたりの始はじまりが、小ちいさな字じで待まっていた。Mark readNext